2010年、2月になって。。。
足腰の状態はだいぶ良くなりました。
先週は気をつけて、教えているときの姿勢をいつもと
逆にしたり、サロンパス貼ったり、ビタミン飲んだり。
ほぼ通常通りになって、嬉しい限り。
前かがみになっても何でもないって、ステキ
今週は、長時間座る、というタスクがありますので、
この調子で気をつけて乗り切りたいです。
週末は激寒だったニューヨーク。
でも作曲家のお友達の作品を聴きに、コンサートへ行きました。
ソーホーの面白い場所で、面白かった♪
作曲家が音に何かを託すことについて、
今度ゆっくり聞いてみたいな、と思いながら
音のバイブレーションを感じていました。
じわじわ、動こう。
そんな感じです。
私なりにやっていく、ということがとても大切で、
自分の中から欲するものをしっかり受け止めて、
生活とのバランスを取りながら、じわじわ動く。
わーっという勢いではなく、ふつふつと在るパッションが
ようやく私の中にもしっかり根付きつつあるようです。
じわじわ、とは言え、もう2月になりました。。。
ので、今月はとうとう暖めているプロジェクト、
始動させていきます。
先週は気をつけて、教えているときの姿勢をいつもと
逆にしたり、サロンパス貼ったり、ビタミン飲んだり。
ほぼ通常通りになって、嬉しい限り。
前かがみになっても何でもないって、ステキ

今週は、長時間座る、というタスクがありますので、
この調子で気をつけて乗り切りたいです。
週末は激寒だったニューヨーク。
でも作曲家のお友達の作品を聴きに、コンサートへ行きました。
ソーホーの面白い場所で、面白かった♪
作曲家が音に何かを託すことについて、
今度ゆっくり聞いてみたいな、と思いながら
音のバイブレーションを感じていました。
じわじわ、動こう。
そんな感じです。
私なりにやっていく、ということがとても大切で、
自分の中から欲するものをしっかり受け止めて、
生活とのバランスを取りながら、じわじわ動く。
わーっという勢いではなく、ふつふつと在るパッションが
ようやく私の中にもしっかり根付きつつあるようです。
じわじわ、とは言え、もう2月になりました。。。
ので、今月はとうとう暖めているプロジェクト、
始動させていきます。
タイガーバームパッチ。
タイガーバームの湿布というものがありまして、
オット氏が私のこりこりの左肩甲骨付近筋肉のために
買ってきてくれました。(サロンパスもね)
ろくな湿布がないにも関わらず、サロンパスとタイガーバームだけは
市民権を得ているアメリカのドラッグストア。
ためしに貼ってみたところ。。。
ひりひりひりひりひりひり!
でも一晩、寝てみました。
いつも「ご飯の時間でちょ」と起こしに来るマルも、
寄り付かず。
効き目は。。。あったような、、、、???
(別のトコ、こっちゃったような。。。)
外箱と内包装のミスマッチには笑っちゃいましたが、
いや!パワーはすごいですよ!
湿布一面タイガーバーム。(当たり前か)
ひどい筋肉痛とかに効きそう。
神経痛、いろいろ試してますが
今のところはサロンパスとビタミンB12(Methylcobalamin)が良いかな。
結局は体が凝ってるってことに落ち着いてきました。
今日は雪。
明日はマイナス7℃。。。
凝るわね、そりゃ。
オット氏が私のこりこりの左肩甲骨付近筋肉のために
買ってきてくれました。(サロンパスもね)
ろくな湿布がないにも関わらず、サロンパスとタイガーバームだけは
市民権を得ているアメリカのドラッグストア。
ためしに貼ってみたところ。。。
ひりひりひりひりひりひり!

でも一晩、寝てみました。
いつも「ご飯の時間でちょ」と起こしに来るマルも、
寄り付かず。
効き目は。。。あったような、、、、???
(別のトコ、こっちゃったような。。。)
外箱と内包装のミスマッチには笑っちゃいましたが、
いや!パワーはすごいですよ!
湿布一面タイガーバーム。(当たり前か)
ひどい筋肉痛とかに効きそう。

神経痛、いろいろ試してますが
今のところはサロンパスとビタミンB12(Methylcobalamin)が良いかな。
結局は体が凝ってるってことに落ち着いてきました。
今日は雪。

明日はマイナス7℃。。。
凝るわね、そりゃ。
恩師に電話しました。
大大大大、、、恩師。
大好きな「パパ」。
会えることになりました。
会うまでに、神経痛を治して、ベートーヴェンを完全暗譜!
いろいろあるけど、このニュースは私にとって
ちょっと嬉しいもの。
恩師の声は暖かかったです。
大好きな「パパ」。
会えることになりました。

会うまでに、神経痛を治して、ベートーヴェンを完全暗譜!
いろいろあるけど、このニュースは私にとって
ちょっと嬉しいもの。
恩師の声は暖かかったです。

音楽の許し
坐骨神経痛と騒いで一週間、
どうやら原因はオシリのこりにあったようです。
お尻ってこるんですね〜。
いやはや。
ベートーヴェン、再開。
少し時間を置いて、やっと近くなれてきた。
何よりすごいのは、その音楽の力。
いろんな悩み事とか、もやもやとか、
ベートーヴェンの世界に入ってしまうと
何だかどうでもよくなってしまう。
その作用は、特に後期の作品だからかもしれませんが、
「純粋に音楽できたら、それが一番の幸せ」と思える。
自分と自分の大切な人と、大切な命と、
それと音楽があってさえくれれば。
作曲家とその人生と、作曲家の作品とがどのように
関わりあってこんな作品を生むのか、
興味があります。
このベートーヴェンを近々、大大恩師のもとで弾こう、
と思っています。
。。。が、もしかしたら会えないかも??ってことに
気づいてしまった。
例年だと、母国に帰っている時期??
ともかく、連絡してみよう。。。
昔、ピアノの先輩が
「私はピアノを弾くために生まれてきたものではない。
神様からピアノを弾くことを許されていると思っている」
と話していたことがあって、
今、その言葉がよく分かる。
こんなそんなを考えながら、一日過ごす。
今日も、ピアノを弾くことができました。
ありがとう。
どうやら原因はオシリのこりにあったようです。
お尻ってこるんですね〜。

いやはや。
ベートーヴェン、再開。
少し時間を置いて、やっと近くなれてきた。
何よりすごいのは、その音楽の力。
いろんな悩み事とか、もやもやとか、
ベートーヴェンの世界に入ってしまうと
何だかどうでもよくなってしまう。
その作用は、特に後期の作品だからかもしれませんが、
「純粋に音楽できたら、それが一番の幸せ」と思える。
自分と自分の大切な人と、大切な命と、
それと音楽があってさえくれれば。
作曲家とその人生と、作曲家の作品とがどのように
関わりあってこんな作品を生むのか、
興味があります。
このベートーヴェンを近々、大大恩師のもとで弾こう、
と思っています。
。。。が、もしかしたら会えないかも??ってことに
気づいてしまった。

例年だと、母国に帰っている時期??
ともかく、連絡してみよう。。。
昔、ピアノの先輩が
「私はピアノを弾くために生まれてきたものではない。
神様からピアノを弾くことを許されていると思っている」
と話していたことがあって、
今、その言葉がよく分かる。
こんなそんなを考えながら、一日過ごす。
今日も、ピアノを弾くことができました。
ありがとう。
レッスン
座骨神経痛を心配して行ったレッスンでしたが、
痛みはなく、むしろ手がかじかんで(部屋が寒い!)
大変でした。
古いスタインウェイの鍵盤の上で、どこまでも
デリケートなタッチを要求される。
指先、指の腹、手のひら、手首、ひじ、腕、体、
全てを使って表現すること。
ここまで、という線を自分で引いてしまわないこと。
少しでも「ん?」と思うなら、方法を探し出し、納得すること。
レッスンで要求されていることは、もうひとつ。
「練習しました」ではなく、
「演奏します」。
「このタッチで大体弾けるようにになりました」ではなく、
「このタッチは(自分の)モノにしました」。
次のレッスンではそのように。
「Next time, play perfectly.」
痛みはなく、むしろ手がかじかんで(部屋が寒い!)
大変でした。
古いスタインウェイの鍵盤の上で、どこまでも
デリケートなタッチを要求される。
指先、指の腹、手のひら、手首、ひじ、腕、体、
全てを使って表現すること。
ここまで、という線を自分で引いてしまわないこと。
少しでも「ん?」と思うなら、方法を探し出し、納得すること。
レッスンで要求されていることは、もうひとつ。
「練習しました」ではなく、
「演奏します」。
「このタッチで大体弾けるようにになりました」ではなく、
「このタッチは(自分の)モノにしました」。
次のレッスンではそのように。
「Next time, play perfectly.」
ああ。。。
先々週にはちょっと尾てい骨のあたりに鈍い痛みを感じ、
先週は足に向かって痛みを感じ、とうとう週末に
本格的に痛み出しました。
原因は、はっきりしてます。
これを坐骨神経痛と呼ぶに違いない!
だって、教えている時に痛むのです。
前々からちょっと気になって気をつけていたのですが、
教えているときの姿勢。
基本的に座って前かがみだし、手を伸ばして例を見せること、多いし。
足組んでることも多いし。
ちょっと積み重なったかなぁ。
ストレッチしてるんですけどねぇ。
ピアノはいくら長時間弾いても平気なのにねぇ。
休むと良くなるので、これからは教えているときの姿勢、
気をつけよう。もっと。
これを職業病と呼ぶんでしょうか。。。。
体のメンテナンスは今年の最重要課題のひとつ!です。
先週は足に向かって痛みを感じ、とうとう週末に
本格的に痛み出しました。

原因は、はっきりしてます。
これを坐骨神経痛と呼ぶに違いない!
だって、教えている時に痛むのです。
前々からちょっと気になって気をつけていたのですが、
教えているときの姿勢。
基本的に座って前かがみだし、手を伸ばして例を見せること、多いし。
足組んでることも多いし。
ちょっと積み重なったかなぁ。
ストレッチしてるんですけどねぇ。
ピアノはいくら長時間弾いても平気なのにねぇ。
休むと良くなるので、これからは教えているときの姿勢、
気をつけよう。もっと。
これを職業病と呼ぶんでしょうか。。。。

体のメンテナンスは今年の最重要課題のひとつ!です。
ホロヴィッツ、ロシアリサイタル
オーダーしていたホロヴィッツのCDとDVDが届き、
早速聴き、観る。
ホロヴィッツのショパン、ホロヴィッツのスカルラッティ。
それからロシアへ60年ぶりに帰国してのリサイタル。
これが分かる耳があって、本当に良かったって、つくづく思う。
どの指も、どの一音を取っても神経が行き届かないことはない。
今はそれがどのようなタッチで、どのような腕の使い方で、
手のシェイプでおこなわれているかが見えてきているから、
余計に息を飲む。
とんでもない人だ。。。当時、83歳。
ラフマニノフを弾くホロヴィッツから、
私は一度もロシアを忘れたことはないよ、という
メッセージを聴く。
一つ足りとて「押した音」はありませんでした。
なぜ、みんなこう弾かないんだろう。
いや、まず、私だ!!
早速聴き、観る。
ホロヴィッツのショパン、ホロヴィッツのスカルラッティ。
それからロシアへ60年ぶりに帰国してのリサイタル。
これが分かる耳があって、本当に良かったって、つくづく思う。
どの指も、どの一音を取っても神経が行き届かないことはない。
今はそれがどのようなタッチで、どのような腕の使い方で、
手のシェイプでおこなわれているかが見えてきているから、
余計に息を飲む。
とんでもない人だ。。。当時、83歳。
ラフマニノフを弾くホロヴィッツから、
私は一度もロシアを忘れたことはないよ、という
メッセージを聴く。
一つ足りとて「押した音」はありませんでした。
なぜ、みんなこう弾かないんだろう。
いや、まず、私だ!!
アンバランスの上のバランス
元旦、映画&お食事の帰りに画家の方とお話したことは
とても興味深い、そして今ちょうど私が考え続けていることと
共通したものでした。
芸術において、スタイルや技術の習得と
自分の個性、言いたいことのバランスをどのように
保っていくか。
言葉にすると、それはとても簡単で当たり前のようでいて、
表現者として実際に関わっていくと、
そのバランスとは実に危うく、アンバランスに傾きがちな
ことであるということを実感します。
表現者として芸術に携わる誰しもが
技術を習得する道を避けることはできません。
スタイルを学ぶことにより、
ひとりよがりな個性を避けることができ、
新たな発想のヒントを得ることもできますが、
技術とスタイルは、それはそれで終わりなく
追求できるものでもあるので
そこにはまりやすいという落とし穴があります。
特にクラシック音楽の、演奏の分野では
演奏者はまず、正しくあることを求められます。
そして、そこから出ること。
もしくは正しさはもう自分のボキャブラリーとして
入っていて、それを自由に使いこなすこと。
それが「演奏家」としての最低条件だと思います。
誰しも最初、それがどんな小さい子供でも、
意識的でも無意識でも
何かしら言いたいことや表現したいことがあって、
それらを伝えるために技術を学ぼうとする。
ただ、技術を習得することはそれ自体が
高い要求を貸すことも多いので
表現者は次第に技術を習得するという快感へ
精神が傾きすぎてしまうこともある。
それは自分で気づきづらく、それが全てと
思い込んでしまうことさえある。
でも、最初はみんな、何かを表現したいから、
それは本当にその人独自の内発的な要求から
技術を学ぶのです。
そして、この問題は個人の問題だけではありません。
今の時代、「正しさ」の定義そのものがあやふやなまま、
いかにその「正しさ」を信奉することと
「正しさ」もなにもない個性をもてはやすこと、
この2つの混沌があふれていることか、と感じます。
しかしまた、表現者としての居場所を確保するために
盲目的にそれらのトレンドに流されることが多いのです。
私個人の中でも、だからといって必ずしも
いつもそのバランスを保っているわけではなく、
盲目的に技術や正しさにのめり込んでしまう時期もあれば
個性と勘違いしてスタイルをおろそかにすることもありました。
心理的葛藤や緊張から音楽を自由に感じることが
できないこともあるし、自分の中にはもう何もないのでは
と思うこともある。
反対に自分が音楽を感じていると言って
演奏者としてのめりこんで自分勝手で伝わらない演奏を
することもある。
自分を信じ続けることと自分を疑い続けること。
これらを忘れてはならないのだと強く思います。
こうして考えていくと、表現者とはいかに
微妙なバランスを保たねばならないのでしょうか。
表現者とは実に
「アンバランスの上でのバランス」を取るものであり、
「バランスの上でのアンバランス」に傾きがちなものと
言えると思います。
いつも美術館で感じることは、素晴らしい画家の画の力とは
最終的にはその技術ではなく、むしろ完成された技術の上に
それでもなお自己の中からの要求が見失うことなく
表現されていることです。
他の同時代や同じスタイルの作家と比べて、
皆その技術の高さでは変わらないけれど
結局、その自己の要求にどこまで喰らいついていったか。
そこに違いがあるように思う。
音楽に憧れて、音楽の中で自由に心を羽ばたかせた自分は
確かに私の中にいて、
そしてそれを信じながら、自分の思い込みを疑い、
表現する技術(わざ)を探求し、スタイルを踏襲し、
作曲家の言葉を読み取ってそれを出すことに妥協しない。
それをいつも心に刻んでおきます。
とても興味深い、そして今ちょうど私が考え続けていることと
共通したものでした。
芸術において、スタイルや技術の習得と
自分の個性、言いたいことのバランスをどのように
保っていくか。
言葉にすると、それはとても簡単で当たり前のようでいて、
表現者として実際に関わっていくと、
そのバランスとは実に危うく、アンバランスに傾きがちな
ことであるということを実感します。
表現者として芸術に携わる誰しもが
技術を習得する道を避けることはできません。
スタイルを学ぶことにより、
ひとりよがりな個性を避けることができ、
新たな発想のヒントを得ることもできますが、
技術とスタイルは、それはそれで終わりなく
追求できるものでもあるので
そこにはまりやすいという落とし穴があります。
特にクラシック音楽の、演奏の分野では
演奏者はまず、正しくあることを求められます。
そして、そこから出ること。
もしくは正しさはもう自分のボキャブラリーとして
入っていて、それを自由に使いこなすこと。
それが「演奏家」としての最低条件だと思います。
誰しも最初、それがどんな小さい子供でも、
意識的でも無意識でも
何かしら言いたいことや表現したいことがあって、
それらを伝えるために技術を学ぼうとする。
ただ、技術を習得することはそれ自体が
高い要求を貸すことも多いので
表現者は次第に技術を習得するという快感へ
精神が傾きすぎてしまうこともある。
それは自分で気づきづらく、それが全てと
思い込んでしまうことさえある。
でも、最初はみんな、何かを表現したいから、
それは本当にその人独自の内発的な要求から
技術を学ぶのです。
そして、この問題は個人の問題だけではありません。
今の時代、「正しさ」の定義そのものがあやふやなまま、
いかにその「正しさ」を信奉することと
「正しさ」もなにもない個性をもてはやすこと、
この2つの混沌があふれていることか、と感じます。
しかしまた、表現者としての居場所を確保するために
盲目的にそれらのトレンドに流されることが多いのです。
私個人の中でも、だからといって必ずしも
いつもそのバランスを保っているわけではなく、
盲目的に技術や正しさにのめり込んでしまう時期もあれば
個性と勘違いしてスタイルをおろそかにすることもありました。
心理的葛藤や緊張から音楽を自由に感じることが
できないこともあるし、自分の中にはもう何もないのでは
と思うこともある。
反対に自分が音楽を感じていると言って
演奏者としてのめりこんで自分勝手で伝わらない演奏を
することもある。
自分を信じ続けることと自分を疑い続けること。
これらを忘れてはならないのだと強く思います。
こうして考えていくと、表現者とはいかに
微妙なバランスを保たねばならないのでしょうか。
表現者とは実に
「アンバランスの上でのバランス」を取るものであり、
「バランスの上でのアンバランス」に傾きがちなものと
言えると思います。
いつも美術館で感じることは、素晴らしい画家の画の力とは
最終的にはその技術ではなく、むしろ完成された技術の上に
それでもなお自己の中からの要求が見失うことなく
表現されていることです。
他の同時代や同じスタイルの作家と比べて、
皆その技術の高さでは変わらないけれど
結局、その自己の要求にどこまで喰らいついていったか。
そこに違いがあるように思う。
音楽に憧れて、音楽の中で自由に心を羽ばたかせた自分は
確かに私の中にいて、
そしてそれを信じながら、自分の思い込みを疑い、
表現する技術(わざ)を探求し、スタイルを踏襲し、
作曲家の言葉を読み取ってそれを出すことに妥協しない。
それをいつも心に刻んでおきます。
元旦は
久々にニューヨークに戻っているお友達と
画家の方と「Avatar」(映画)を観に行き、
お食事しました。
映画は、良かったと思う。
最初はCGと実際の映像に少し違和感を覚えたけれど、
だんだん引きずり込まれてしまいました。
話としては「Dance with wolves」を思い出させる
ものでしたが、私的には何といっても
「風の谷のナウシカ」。
出てくる風景は「天空の城ラピュタ」も彷彿と
させて、スゴイ映像を見て、ひぃ〜、、、とか
思いながらも「やっぱり宮崎アニメはすごい!」と
感動していました。
ナウシカファンには分かるはず!
ストーリーが「ナウシカ」から来たものであったとしても
ともあれ、人間がもっと目に見えないものや
普段は気づかないものに目を留めることを
大切と訴えるような映画が公開されることは
良いことだと思います。
今のようなテクノロジーの異常ともいえる発展の
速さと共に日々のくらしもますますスピード化している
時代、私たちは自分の内の自然や
この地球の自然を生活レベルで感じることを
忘れてしまっている。
ちょっと立ち止まって、自分とそれを取り巻く
空気、木、空、大地たちが本来はつながっているものだと
感じること、自分の中に自由で無限のイマジネーションがあり、
様々な無言のメッセージを自然や生きものから
受け取ることができることに目を向けることは
今だからこそ大切なのだと思います。
エコが環境対策としてでなく経済効果として捉えられる今、
だからこの映画も受け入れられるのでしょうが、
「ナウシカ」はもう80年代に同じことを
訴えていたこと、宮崎アニメの多くが自然と人間の
共存をテーマにしていること、そのクオリティが
とても高くて世界的に評価されていることは
本当にすごいことです。
八百万の神がいて、自然の厳しさと共にくらしを
立ててきた日本人だからこそ、自然や地球の変化に
敏感でいられるのでしょうか。
大切なことです。
そういえば、「Avatar」のもうひとつのベースである
アメリカンインディアンの伝統も、
全ての自然に神が宿っていると考えられてきました。
私は個人的には、樹木に空に、妖精が宿っていると
信じてます。
人は確かにそういった自然から生まれ、
自然に支えられて生命を受け取ることができていると。
自然を大切と感じる気持ちはそもそも
音楽から教えられたのかもしれません。
特にクラシック音楽の多くは自然を感じずには
いられません。
また、それを演奏する側にとっても
自然や、人間の持つ創造力(想像力)の不思議を
いつも想い起こさせます。
映画の後のお食事はとても楽しく、
それから美味しい韓国料理を堪能したのですが、
とても印象に残り、また後になっても
いろいろと考えさせられたのは帰りがけ、
画家の方と一緒にお話したことでした。
画家の方と「Avatar」(映画)を観に行き、
お食事しました。
映画は、良かったと思う。
最初はCGと実際の映像に少し違和感を覚えたけれど、
だんだん引きずり込まれてしまいました。
話としては「Dance with wolves」を思い出させる
ものでしたが、私的には何といっても
「風の谷のナウシカ」。
出てくる風景は「天空の城ラピュタ」も彷彿と
させて、スゴイ映像を見て、ひぃ〜、、、とか
思いながらも「やっぱり宮崎アニメはすごい!」と
感動していました。
ナウシカファンには分かるはず!

ストーリーが「ナウシカ」から来たものであったとしても
ともあれ、人間がもっと目に見えないものや
普段は気づかないものに目を留めることを
大切と訴えるような映画が公開されることは
良いことだと思います。
今のようなテクノロジーの異常ともいえる発展の
速さと共に日々のくらしもますますスピード化している
時代、私たちは自分の内の自然や
この地球の自然を生活レベルで感じることを
忘れてしまっている。
ちょっと立ち止まって、自分とそれを取り巻く
空気、木、空、大地たちが本来はつながっているものだと
感じること、自分の中に自由で無限のイマジネーションがあり、
様々な無言のメッセージを自然や生きものから
受け取ることができることに目を向けることは
今だからこそ大切なのだと思います。
エコが環境対策としてでなく経済効果として捉えられる今、
だからこの映画も受け入れられるのでしょうが、
「ナウシカ」はもう80年代に同じことを
訴えていたこと、宮崎アニメの多くが自然と人間の
共存をテーマにしていること、そのクオリティが
とても高くて世界的に評価されていることは
本当にすごいことです。
八百万の神がいて、自然の厳しさと共にくらしを
立ててきた日本人だからこそ、自然や地球の変化に
敏感でいられるのでしょうか。
大切なことです。
そういえば、「Avatar」のもうひとつのベースである
アメリカンインディアンの伝統も、
全ての自然に神が宿っていると考えられてきました。
私は個人的には、樹木に空に、妖精が宿っていると
信じてます。

人は確かにそういった自然から生まれ、
自然に支えられて生命を受け取ることができていると。
自然を大切と感じる気持ちはそもそも
音楽から教えられたのかもしれません。
特にクラシック音楽の多くは自然を感じずには
いられません。
また、それを演奏する側にとっても
自然や、人間の持つ創造力(想像力)の不思議を
いつも想い起こさせます。
映画の後のお食事はとても楽しく、
それから美味しい韓国料理を堪能したのですが、
とても印象に残り、また後になっても
いろいろと考えさせられたのは帰りがけ、
画家の方と一緒にお話したことでした。










